年長さんたちにとって、卒えん前最後のどんぐり教室の時間でした。
“ムササビに似たモモンガ”という難しいイメージがお題にあった、
たいちゃんの絵を、なつが笑ったときのこと・・・。
いつもなら、
怒って、絶対に絵が見えないように隠して、
そこからは問題どころじゃなく、とにかく見られないことに必死だったたいちゃん。
だけど、今日は違っていて、
ふいっと部屋を出てしまい、戻って来た時には涙がポロポロ・・・。
「なんで泣いてるとー?」と言うなつに、
「絵を笑うなんてひどいよ・・・」とたいちゃん。
そんなつもりじゃなかったなつと、
そんなつもりじゃなかったとしても、笑われたらイヤな氣もちになってしまうたいちゃん。
うんうん、そうだよね。
どっちの氣もちも分かる・・・。
それで私は、他の子にもモモンガを描いてもらいました。
みんなどれも、モモンガに見えるような見えないような・・・(笑)
正解なんてものはありません。
同じモモンガの絵を描いても、それぞれみんな違うこと。
うまいも下手もないこと。
ただ、“違う”があるだけということ。
そんなことが、たいちゃんに伝わるといいなと思って話をしました。
その後、たいちゃんは初めて最後まで諦めずに解答まで辿り着いて、
できた時にはすごくいい表情を見せてくれました。
とってもとっても嬉しかったです。
今までずっと、たいちゃんが自分から氣もちを表現してくれるのを待っていて、
ほんとに良かった〜!って感じた瞬間でした。
もし私がどこかのタイミングで、
“たいちゃん、そんなに隠さんでいいとよ〜”なんて声をかけていたら、
あんないい表情は見られなかったと思います。
“ムササビに似たモモンガ”
という、正解のないような絵を描かないといけない問題を、
私は、たいちゃんには意図的に選んできました。
評価されようのないようなものを描くことを、
正しいや間違ってるがないようなものを描くことを、
自分で「これでよし!」と言える氣もちを持って欲しいなと思っていました。
どんぐりでは、
「感情の流れるスピード」をとっても大切にします。
日々の暮らしの中でスピードを求められると、
感情の流れを感じることが難しくなります。
おとなは、子どもがささっと朝の準備をして、
ささっと靴を履いて、ささっと一緒に着いて来てくれれば、
それは楽だし助かります。
だけどそんな時間のなかで、
「今日はあの子にこれをあげたいから持って行こうかなぁ」とか、
「この靴裏に詰まってる石がどうしても氣になるんだよなぁ」とか、
「あそこに猫がいる!」とか、いろいろ感情が流れているんですよね。
朝わくわくまで送る時、
とにかく到着時間だけに氣を取られて前進しているのと、
海や山の色を子どもと見ながら
「海と空ってどっちの方が広いんだろうねぇ〜」なんて話しながら来るのとでは、
朝の味わいが全く違うことをひしひしと感じます。
そんなふうに、日々を味わえる力こそが、生涯使える学力。
本物の学力とは、しあわせに生きていく力のこと。
教育とは、子育ての一部でなければいけない。
どんぐりではそう捉えます。
たいちゃんは、
この半年かけてきっと毎回いろんな感情の流れを感じてきたんだと思います。
恥ずかしかったり、悔しかったり、
人と比べたり、時には得意氣になったり・・・。
そして今日、
自分で感じとった感覚で、自分のタイミングで、自分の感情を表現した。
だからあんなにいい表情を見せてくれたんじゃないかな。
この半年、みんなから学ぶことがたくさんありました。
それぞれに、大切な感覚をしっかりと身につけています。
小学校という環境が、
どうかどうかこの子たちの持っている宝を奪うことがないように・・・
と、心から願います。
わくわくっ子が、わくわくっ子らしさを持って成長できるように・・・。
どんぐり教室 田嶋あいこ